Archive for 4月, 2011

4月の行事食 朝倉サテライト

水曜日, 4月 27th, 2011

お疲れ様です、朝倉サテライトの星野です。

ちょっと遅くなりましたが、4月11日のお昼に行事食を提供しました。

メニューは、桜寿司、鶏肉と春キャベツのトロトロ煮、
菜の花の辛子合え、イチゴです。
おやつとして練りきりもつきました。

東部サテライトの震災と復興

火曜日, 4月 26th, 2011

東部サテライト 清野です。
震災当日、私は出勤ではなかったため、
安川マネージャーに当日のことをお聞きしました。

■直後はパニック状態に
計画停電や災害訓練等は毎年行っていたが、
余りに大きな地震と停電により誰もがパニック状態に陥りそうになった。

冷静さを取り戻し、まず状況確認をした。
おやつの配膳時間などで、安全確認の為の点呼の際
ミルクの配膳者とおやつの配膳者の2名が不在だった。
階段で各病棟に上がり捜したが、おやつ配膳のパートさんが見つからず、
20分後にやっと帰ってきた。
どうやらエレベーターに閉じ込められていたらしい。
地震後、慌てて戻ろうとエレベーターに乗り、途中で止まってしまったと…。
地震の時は、閉じ込められる可能性のあるエレベーターは
絶対に使用しないよう全員に呼びかけた。

■夕食への素早い対応
地震発生時は、夕食の準備の真っ最中。
停電から非常電源に切り替わるまでは
とりあえず冷菜などの盛付を続けながら、
栄養士と調理師で対応を考えた。
パソコンも全て電源が落ちてしまったが、
非常電源で食事オーダーを出す必要最低限のパソコンを復旧させて、
夕食の食札などを作成した。

厨房では、非常電源で使える IHコンロ6台と、ガスコンロ6台のみで
残る主菜、ご飯、お粥を作る決断をし、実行。
配膳車の電源が入らないことと、
ベルトコンベヤーも停止していることから
配膳車にプリセットする方法を選択。

常温でも可能な加熱食品からセットし、
冷菜はギリギリまで冷蔵庫に保管し、その後セットしていった。
しかし、作業の場所が狭いこと、指令系統がしっかりしていなかったこと
があり混乱を招いった。

それでも、病棟には、常温での配膳と遅配膳の了解を得ていたが、
通常より最高でも30分の遅れで済んだ。

■外の状況、そして翌日への不安
夕食をやっとの思いで提供したが、外の状況が全く分からず、
電話も繋がらない状態だった。
皆の安否や、明日以降どうなるのか…という不安がとてつもなくのし掛かってきた。

ただ、そんな不安な状況でも、誰一人として途中で帰ろうとせず、
皆仕事を全うしていたことがとても心強く、逞しく、嬉しく思った。
このまま停電の状態がいつまで続くのか…
1食2食は何とかなるが、先が見えないこの状況で
心構えも準備も不足していることがとても悔やまれた。
幸い、電気は22時頃に復旧し、翌日以降の不安はやや解消された。

■今後に向けて
震災後は、計画停電(東部は除外であったが)、や節電、
食材納入が困難な状態が続き、
その対処能力で不足している部分が浮き彫りになったように感じる。
これは、今後こういった災害でなくとも必要不可欠な力であることに変わりはなく、
今後強化していきたいと思う。

今回の震災で、皆それぞれ色々な思いをしたとは思うが、
皆に共通して言えるのは、被災地の方々を想い、
自分たちのできることを精一杯やろうと強く思っていることだ。

いろいろなお客様をお迎えするので

月曜日, 4月 25th, 2011

北部マ・メゾンの立見です。

北部マ・メゾンは、病院の中にあるレストランです。
感染機会も通常のレストランより多くなり、
ノロウイルスや病気感染の恐れがあるので、
箸やスプーンの先に直接触れないように、
いろいろな人が触れるはし置き場のケースの上の部分を透明なビニールで塞ぎ、
取り出す時に手が全部入らないようにしました。

松井サテライトの震災の復興

金曜日, 4月 22nd, 2011

お疲れさまです。
松井サテライトの仲野です。
 
3月11日の東北関東大震災の発生により、多くの困難が起こりました。
 
地震があった当日、調味料のまとまった納品がある日だった為、
エレベーターが停まって使用できず、病院の栄養士さんが
階段から降ろす作業を手伝ってくれました。
 
翌日の早番では電車が停まっていた為、
家が少し離れたパートさんがわざわざタクシーで出勤してきてくれました。
 
納品状態も安定せず、納品時間も業者がいつもより早く来たり
18時以降に来たりと、まちまちでした。
 
被災地に工場があるためと欠品の連絡も多数来ました。
ハネジューメロンは、海外の船で輸入しているようで原発の放射能の影響から、
船が『日本に来たくない』と言って輸入できない状態だと聞きました。
 
欠品の連絡を受けるつど代替品を探してもらったり、
違う業者に電話をかけ、似たような品を扱っていないか問い合わせをしました。
どうしても商品が間に合わない場合は病院さんに献立を変更してもらい、
違うもので対応しました。
 
計画停電が毎日ギリギリまで実施されるかどうか定かでなかった為、
配膳を早めたり、洗浄機が動かなくなるかもとのことで
洗浄機を使わないときの対応の指示を出したりしました。
朝昼のパートさんも時間に追われ、夜の洗浄パートさんへも負担がかかりました。

みなで協力し合い、今に至っています。
 
まだ商品によってはメーカーの復旧の目処が立たず代替品で対応していたり、
欠品の連絡が入ってきています。
 
今回の経験を生かし、引き続き協力し合い、対応していこうと思います。
 
早く被災地が復興することを祈っています。

友部サテライトの大震災と復興

木曜日, 4月 21st, 2011

お疲れ様です。友部サテライト 杉田です。
3月11日に発生した東北関東大震災についてご報告します。

友部サテライトは茨城県にあり、大きく被害を受けました。

地震発生時は、私も働いており時間もちょうど夕食の準備をしている時でした。

発生後から、病院周辺地域のライフラインは全てが使えなくなり、
友部病院も、ガス、水道の使用が出来なくなりました。
主に蒸気を使った回転釜などを使用して食事を作っていますが、
ライフラインの2つを制限されたことにより、
夕食の調理の続行が不可能になりました。
しかし、病院での自家発電により電気の使用は出来ました。
また、普段調理では使用しないのですが、
洗浄用で使用している井戸水が使用出来ました。

この電気と水を使い、本来なら4月から病院の移転による新病院の
オール電化の厨房に行き、加熱調理を行い給食の提供を続けました。

ライフラインの休止は、発生から3日間続きました。

そして、地震の影響により、できたばかりの新病院も被害を受けて、
修理関係などで引越しも延期になってしまいました。

被害による暗い出来事やニュースも多かったです。
しかし、「新しい厨房を使用出来て使用方法が理解出来たのはよかった」
と、調理師のみんなは明るく言って乗り越えようとしていました。

地震発生時は、なんとなく雰囲気も暗い感じでしたが、
ライフラインの復旧と共に、次第にみんなの気持ちも前向きに
なっていったのがとても印象的でした。

また地震発生後でも、シフト通りに来てくれた
社員、パートさんに感動しました!!